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ハッピーリッチコラム バックナンバー

第100号 『日本経済を振り返る 低迷の本質は何なのか?』
    ~失われた30年にしないために~
2010/08/31

私的年金をつくろう 『ハッピーリッチ・アカデミー』第100号

祝!100号!ありがとうございます。
明るく前向きに自分の財産を築いていこうと頑張るみなさんに、ハッピーな人生
を送るための情報を提供する「ハッピーリッチ・アカデミー」管理人の川瀬です。

2006年10月からスタートしたこのメルマガも、足かけ4年!お陰様で100回を迎える
ことができました。今回は100回記念(でもないけど)で、日本経済について今まで
を振り返りながら考えてみました。

ちょっと長いですが、最後までお付き合いを。

『日本経済を振り返る 低迷の本質は何なのか?』
  ~失われた30年にしないために~

■日本の経済成長率の推移を見てみよう!

ダメだ、ダメだ、と言われる日本経済。
一体いつから、なぜこうなってしまったんでしょう?
これまでの経済状況を10年スパンで振り返ってみましょう。

<日本の名目経済成長率の10年平均の推移>
・1961~1970  16.7%  
・1971~1980  12.4%
・1981~1990   6.2%
・1991~2000   1.1% 
・2001~2008  -0.2%



すごい凋落ぶりですね・・・。

■60年代~70年代

10年平均で16.7%という驚異の成長率。これが日本の高度経済成長期。
64年が東京オリンピックで70年が大阪万博です。
当時は安かった労働力をテコに、原材料を輸入して加工して輸出する加工貿易
モデルで成長を続け、1968年にはアメリカに次いで経済大国2位になりました。
まさに今の中国みたいな時期ですね。
73年、78年とオイルショックで少し減速するものの景気の底力はすごくて、70年代
の経済成長率は12.4%と依然高い成長率を維持していました。
(ちなみに1967年に私が愛知県で誕生しています)

■80年代

80年代になると、平均成長率は半減します(6.2%)。
85年の「プラザ合意」のあたりから日本がダメになっていきます。
80年代前半に日本の輸出競争力が強すぎて、アメリカの貿易赤字と日本の貿易黒字
が問題になり、日米貿易摩擦が起きました。その流れの中で「プラザ合意」(※)
は成立します。

(※プラザ合意:1985年、ニューヨークプラザホテルで行われた先進5カ国の蔵相・
  中銀総裁会議で円高・ドル安誘導が合意されました。)

1985年までは1ドル=230~250円のレンジで推移していたのが、プラザ合意後の
翌86年には150円台まで急騰。88年には1ドル=120円まで円高が進みました。
この急激な為替変動で日本の輸出企業は大打撃を受けました。
言わば、たった3年足らずで海外での製品販売価格が2倍以上になったということ
ですからね。
これで日本企業の国際競争力はガタ落ちになりました。

86年には実質経済成長率は1.9%に急落。「円高不況」と呼ばれました。
(私は86年に大学に入学。当時の4年生の先輩が就職に苦しんでおられました)
この時の不況脱出のために、政府・日銀は金利をガンガン引き下げて金融緩和を
しました。
超低金利の下で企業が土地を買うなど設備投資を大幅に拡大させたことで翌87年
には実質経済成長率は6%に回復しました。この行き過ぎた金融緩和が原因で、
88年から「バブル景気」が始まります。

■90年代

私は90年に大学を卒業し、某都市銀行に就職します。(バブル入社です)
91年ごろの融資稟議書にはもう「バブル崩壊」という言葉をやたら書いていたのを
覚えています。
90年代の平均の経済成長率はわずか「1.1%」。「失われた10年」と呼ばれました。

円高ドル安はそれでもまだまだ進行して95年には史上最高の79円台をつけます。
98年にはバブルの後遺症である不良債権処理から抜け出せない日本の銀行が世界的
な信用を失い、金融システム不安が起きました。北海道拓殖銀行や山一証券が倒産
したのもこの頃で、当時は「次はオレたちの銀行か・・・」と皆、戦々恐々として
いましたね。

■2000年代

02年にITバブル、05年には不動産ミニバブルなどがあり、少し景気がよくなった
ような気がしましたが、やはり所詮「バブル」であり、2000~2008年までの平均
経済成長率はなんと「-0.2%」。
以降、皆さんご存知の通り、今に至るまで景気が本格回復することはなく、今と
なっては「失われた20年」と言われていますね。

■ポイントは85年からの「円高」→「産業の空洞化」

振り返ってみると、やはり85年のプラザ合意がターニングポイントだったように
思います。
つまり、85年~95年の10年間にわたっておきた為替レートのあり得ないほどの変化。
これが今に至る日本経済低迷の一番大きな原因ではないでしょうか。
人件費などの製造コストを落とせない日本の製造業は海外生産に切り替えが進み、
生産機能がどんどん移転しました。これが今も続いて起きている「産業の空洞化」
です。
日本企業が海外を目指すのは人件費が安いからだけではありません。
海外の多くが日本より圧倒的に法人税が安いことも要因です。
生産拠点が日本にあるのと海外にあるのとでは、為替だけではなく、人件費、税制などの違いから、同じ利益を得た場合でも手元に残る金額が全然違うからです。
これは、外資系企業が今、日本からどんどん撤退しているのも同じ理由です。

また円高による国内産業の構造変化は製造業だけではありませんでした。
外国産の食材が安く入ってくることで日本の農林水産業にも壊滅的な打撃を与えました。
この影響は今も尾を引いていて、農林水産業を守るために日本は市場を開放できずにいます。
日本は農業が足かせになっていて、いまだにFTA(※自由貿易協定)を推進することができていません。
これがFTAを戦略的に進めて国際競争力を強めている韓国や中国に水をあけられている一因です。

(※FTA 自由貿易協定:特定の国との間で工業品・農作品の関税など貿易の障壁
  を下げるための取り決め。FTAについては又の機会に思うところを書こう
  と思います。)

これで農業と製造業が衰退・縮小、また公共事業が減少したことで建設業も衰退
しました。
結果として第三次産業の従事者が増えました。
私の世代以降は、みんなが金融やらサービス業やらを目指しました。
みんながホワイトカラーになりました。

■まとめ

私が社会に出た25年前ころから日本はずっとダメな状態が続いていることがわかり
ます。
私たち以降の若い人たちは日本のいい時をまったく知りません。
日本経済の低迷の一番の原因は、「85年以降の急激な為替変動を起点とした国内
産業の競争力の低下」と思います。それで産業が空洞化したこと、そして2000年
以降はさらに「グローバル化」と「IT化」が拍車をかけ、その背景には生産年齢
人口の減少があったという格好になっています。

ブルーカラーは「為替とグローバル化」で新興国に仕事を取られ、ホワイトカラーも、「IT化」によってコンピューターに仕事を取られました。
雇用の受け皿がなくなったわけですから、そりゃ就職難にもなりますよね。

政府が経済政策としてやるべきことは、日本企業の国際競争力を高めるための環境整備だと思います。
まず、為替を安定させること、法人税などの税制を見直すこと、FTAなどで関税を引き下げること、そして雇用の法整備をすること。その他上げればキリがありません。

そして私たち現役世代がやるべきことは、今も昔も「付加価値の創出」であり、
それは「新事業・新産業を興すこと」でしょう。環境の変化を見定めて、環境の
変化に対応することでしょう。

厳しい時代ですが、だからこそやりがいがあるとも言えますね。
いろいろ考えると暗くなってしまいそうですが・・・、ガンバリましょうね!

今回は以上です。次回もお楽しみに!

【編集後記】 「ようやく100回!」

4年、100回です。
2週間ごとに、毎回それなりに辛い思いをして書いてきましたが、やればできる
もんですね。
このメルマガを書くようになって、ホントに私自身成長させていただいているな、
と感謝しています。
いろんな世の中の出来事が気になるようになりました。

「このニュースはなんだ、なんでそうなったのか、これからどうなるのか」いつも
こんなことを考えるようになりました。おかげで新聞や雑誌などで気になった記事
の切り抜きでいつもカバンの中はそんなゴミのような宝物でいっぱいになっています。

これからも(続けられる限り)、頑張りたいと思います。
今後とも宜しくお願いいたします!